アルバム全体、制作からリリース後、そして収録曲全曲を徹底解析。
アルバム全体、制作からリリース後までを徹底解析。
アルバム全体で“HELP!”は、前作“BEATLES FOR SALE”でジョンが自己分析した“カントリー・アルバム”から続くアコースティックなテイストは失っていない。ジョンがボブ・ディランのフォーク・ミュージックに傾倒して、フラマスのギターを手に入れたとフラマス社は分析しているが、それも一理あるだろう(‘Help!’‘You’ve Got To Hide Your Love Away’‘I Need You’‘I’ve Juse Seen A Face’でフラマス・フーテナニーを使用)。決してエレキ・ギター・バンドの枠に収まらない楽曲がアルバムには詰まっている。
デビューから3年、5作目のアルバムにして、ビートルズのソングライティング・チームである“レノン=マッカートニー”はそれぞれに自身の“最初の”と言える代表作を発表した
アルバム収録曲、シングルB面曲、当時の未発表曲をじっくり紹介。
本国イギリスでは、“僕らはロック・バンドだから”というポールの意見もあってシングル発売にはならなかったが、勝機を逃さなかったキャピトル・レコードはシングル化を実行。見事4週連続1位を記録したばかりか、5週間以内で100万枚以上の売り上げを記録した。それだけでなく、「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングでは、700万回以上のオンエアで3位にランクインされたことからもわかるように、ラジオで頻繁にオンエアされ、それまで“うるさい”と毛嫌いしていた大人たちをも魅了することになった。このことは“ビートルズ”の名、そしてその作品に興味を持たせる意味で想像以上の大きな効果があった。今まで人気が持続するビートルズの基盤を作った楽曲のひとつと言っても過言ではないだろう。
“シングル曲はアルバムに収録しない”という、ティーンエイジャーのおこづかいを気遣ったポリシーを掲げていたビートルズだったが、この‘Help!’に至っては、映画の前宣伝もあってか、アルバムに収録することがわかっていたにも関わらず、先行シングルとしてリリースされた(その前のシングル‘Ticket To Ride’はリリース後にリチャード・レスター監督が劇中に使用することを決めた)。
“もっと若いころは誰の助けも必要としなかったのに”“助けてくれ! 誰かが必要なんだ”などの歌詞は後付けでジョンが苦悩を初めて吐露した作品として、後の『ジョンの魂』などに通づる“魂の叫び”的な楽曲と称されることに。これは後にジョン自身がそう発言したことにもよる。その際に自身の代表作として、‘Help!’ ‘In My Life’‘Strawberry Fields Foreve’を上げていた。1981年にスタートするはずだったワールド・ツアーでは、‘Help!’のスロー・バージョンをやることも検討していたほどだ。おそらくこれを受けて(無論ジョンの生誕50周年も祝って)、1990年のリバプール公演でポールは‘Strawberry Fields Forever - Help! - Give Peace A Chance’を演奏した。だが、あまりにも‘Help!’が重要視され、ヘヴィーに受け取られるきらいがあり、ポールは、「あのころジョンは誰かに助けを求めるほど苦悩していなかった」とも発言している。ジョージは、「ジョンがあのころ誰かに助けを求めていたとしたら車の運転じゃないかな。ひどく近眼だったからね」とジョークを言っている。
現在ポールの見解は、「彼はいつも何か助けを求めていたのかもしれない」に変わっている。
作品の評価はピカソやゴッホらの絵画を見てもわかるように後付けが常だ。いずれにせよジョン・レノンは24歳(ポールは23歳)で自他ともに認める代表作のひとつを作ったということである。
アルバム最後を飾ったロックンロール・カバー‘Dizzy Miss Lizzy’は、デビュー・アルバムのラストに収録された‘Twist And Shout’と同じく、2回演奏しただけでOKテイクを出した(バッキング・トラック)。この曲はもともとキャピトル・レコードの要請を受け、アメリカ市場向けにレコーディングしたカバー曲だった(同日に‘Bad Boy’もレコーディング)。アメリカで“BEATLES VI”に収録された。しかし、あまりにも気に入ったため、本国でのオリジナル・アルバムに収録することになったばかりか、1965年のアメリカ・ツアーの演奏曲リスト入りを果たした。
元々というか、“シルバー・ビートルズ”時代は、ジョン、ポール、ジョージと3人のギタリストを擁するグループだった。実際にハンブルクでの演奏を観たクラウス・フォアマンに至っては、この3人のギタリストがいた五人編成の時代が最高だったと語るほどだ。ベースのスチュアート・サトクルフが抜け、泣く泣くベーシストになったポールだが、このアルバムでは‘Ticket To Ride’‘Anothere Girl’でリード・ギタリストとして返り咲き、‘I’ve Just Seen A Face’‘Yesterday’ではアコースティック・ギターを弾くなど、ギタリストとしても活躍。ジョンは‘The Night Before’‘You Like Me Too Much’でキーボーディストとして演奏の幅を広げた(ポールも‘You Like Me Too Much’でキーボードを担当)。
レア写真を掲載し、映画のデータや裏話などを紹介。
“動くビートルズ”は映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』でもファンは観ただろう。アメリカでは“エド・サリバン・ショー”などのテレビ出演、イギリスでも本誌の連載『IMAGINE THIS〜想像してごらん、兄はジョン・レノン』でジョンの妹ジュリアが述懐しているように、多くのテレビ出演、そして実際にコンサートに行くことも比較的身近なことだっただろう。だが、例えば日本のファンにとって、メンバーの髪の毛の色や瞳の色、服装などファッションや楽器がカラーで、動画で観られるという喜びと興奮は半端ではなかった。それによって、メンバーの顔や声と名前が区別しやすくなったのも確かだ。まさに翌年に日本にやってくることを考えれば、格好の予習作だったとも言える。若いファンが増えている現在、この映画の配信やブルーレイなどソフトの販売がなされていないのは残念なことである。
*掲載したページは編集中のものです。実際に発行された誌面と若干異なる可能性もございます。
世界的ブレイクの兆し/アルバム制作までの道のり/定説を覆すカバー曲の存在/レコーディング再開/収録曲のコンセプト/本格的なオーバーダビングの導入/演奏スタイル〜意識の変化/ビートルズ・フォー・セール的アメリカ(キャピトル)盤“BEATLES ‘65”“BEATLES VI”“BEATLES’STORY”/使用楽器〜サウンド/アルバムのタイトル/未発表曲/アルバム・ジャケット/当時の評論/発売後の反応〜チャート成績/ロックの歴史における意義
収録曲全曲にシングル‘I Feel Fine/ She’s A Woman’を加え、トラックリスト、レコーディング&サウンド、詞作、ライブ・パフォーマンス、メンバーの言葉、写真などで丁寧に解説。
1964年7月21日のリゾート地夏期公演から、1965年1月16日に終了した、アナザー・ビートルズ・クリスマス・ショーまでのコンサートやテレビでのライブをレポート。無論、あのハリウッド・ボウルを含む、ファースト・アメリカン・ツアーも全日収録。
臨時増刊号『まるごと1冊 ア・ハード・デイズ・ナイト』の年表からの続き。彼らの活動やリリースのタイミングを俯瞰でき、本編の内容、ビートルズの活動を理解する助けとなる。年表は『まるごと1冊ヘルプ!』 へと続く。
サイズ:A5版
ISBN978-4-909509-34-5
*内容が大幅に変わることはありませんが、掲載したページの画像は編集段階のものです。章の名前など細やかな内容において予告なく変更する場合がございます。あらかじめご了承ください。
1966年から活動を続けている、ザ・ビートルズ・クラブが毎月会員向けに発行している80ページの月刊誌(月刊 The Beatles)の増刊号で研究誌。
今回紹介した書籍は『まるごと1冊』アルバム・シリーズの1冊となる。
1966年から活動を続けている、ザ・ビートルズ・クラブが毎月会員向けに発行している80ページの月刊誌(月刊 The Beatles)の増刊号で研究誌。
今回紹介した書籍は『まるごと1冊』アルバム・シリーズの1冊となる。